歌詞:SHISHAMO – 明日も

ダメだ もうダメだ 立ち上がれない
そんな自分変えたくて 今日も行く

良いことばかりじゃないからさ
痛くて泣きたい時もある
そんな時にいつも
誰よりも早く立ち上がるヒーローに会いたくて
痛いけど走った 苦しいけど走った
報われるかなんて 分からないけど
とりあえずまだ 僕は折れない
ヒーローに自分重ねて
明日も

SHISHAMOの明日もという曲をお届けしました。

いい歌詞ですね〜、折れないように走って行かないといけませんね〜。

折れる、というとこの数年は心が折れそうになりましたね〜。大殺界だったからでしょうか?

そんな大殺界、大変なことが起こるって本当でしょうか?

大殺界というのは、六星占術とか算命学でいわれる、人生を12年で区切ったときに、3年間訪れる季節でいうと冬の時期です。よく、運気が良くないからトラブルが起こるとか、病気や災難がある!と恐ろしい記述がありますよね。

大殺界は、どんな人も避けて通れないんですって。
そして、大殺界の過ごし方次第ではそのあとの9年を充実した年にできるんだそうです。

それで、去年までの3年間がちょうど私の大殺界だったんですね。最初はそんなこと知りもしませんでしたけど、、

結論からノベマスと、大殺界は大変ってもんじゃありませでしたよ!

今年の2月3日まで大殺界だったんです。で、どんな出来事が起きたのか?

今日のウワノソラ・ヒルズは東京のスタジオから、私の大殺界の出来事と、私が単身中国に渡って算命学を学んでいらした先生から教えていただいたノウハウを交えながら赤裸々に語ってみたいと思います。

支店閉鎖、辞表続き、なんとか乗り切った、そんな3年

大殺界

大殺界。

なんだか言葉がすで恐ろしいですが、本当にあるのでしょうか。
しかも大殺界の3年の中の最後の2年は天冲殺といって、良くも悪くもこれまでの出来事の結果が返ってくる年だといいます。
いやー怖い怖い。でも知らなかったんですよ、自分が大殺界だとは。

そもそもそんな占いだかなんだか、何言ってるのよ、自分の人生は自分で切り開くもんじゃないの?何言っちゃってるのよ、という気持ちだったんでしょうね。知りもしませんでしたが、今考えてみたらあまり新しいスタートを切るようなタイミングではなかったのは事実でした。

そんな天冲殺が開けました。

2月4日は私にとって、あぁ、やっとスタートが切れた〜というときです。

大殺界のなかでも特にポイントになる2年

会議

2016年と2017年がちょうど私の天冲殺の時期。
そもそも私が天冲殺を知ったのは、2016年の春でした。
とある大きな出来事があり、それを機にわかったんですね。

話は1年遡ります。
2015年、私のチームは8人になっていました。
最初に起業したときは私1人ですから、少しずつ仲間が増えていったわけです。

起業して最初は友達に手伝ってもらっていました。

で、その友達とモメる→クライアントを持って独立される

という典型的なパターンを辿って、その後入った社員の子には横領され、なんでこんな典型的なベンチャー企業みたいな出来事が起こるのか?というくらいにいろいろ起こりました。

私は新卒である程度大手といえる企業にいたんですが、合わなくて辞めます。その後もいろいろな仕事をして、ある時はフリーターもやったんですが、結局今の会社を作りました。好きなことを仕事にしよう!と決めて、何もわからない状態でとりあえず起業したわけで、周囲の方に助けられてなんとかここまできた、というのは嘘でもなんでもありません。

そうこうして、会社も7期の決算も終えて、なんとか業績も胸を晴れるくらいになってきたわけです。
資金も調達できたので、支店もやろう!となりました。

2015年の5月、店舗の物件を視察。
横浜の海風がひゅーっとふいてきて、観光する人たちは海の広場でミュージシャンの周辺に群がっています。たくさんの自転車タクシーが出ていて、直感的にあ!これに乗ろう。と思いました。

とんとん拍子で物件が決定

横浜

40歳近い男1人で自転車タクシーに声をかけたのは、おそらくゴールデンウイークで私だけだったでしょう。
歩き回って足もパンパンだったのと、これに乗れば何か見えるかも!と思ったのです。

案の定、自転車タクシーは正解で、地域のことをいろいろと教えてくれました。
そして、ここがうちの本社なんですよ、と運転しているお兄さんが教えてくれたそのビルは、まさにさっきいいなあ・・・と思っていたビルの隣。
明治を感じさせる横浜に残る古めかしいレトロな建物で、ドラマにもよく登場するビルに、ゴールデンウイークを開けてすぐに問い合わせよう!と心に決める。

こうして無事物件も決まって内装を整えました。古いシンガーのミシンを目黒の古道具屋で探すことも、電話番号を決めることもなんだか創業当時のようで毎日ワクワクしました。

晴れてオープンした横浜のお店には、仲間の1人が担当しました。
が、ここからですね〜悲劇のはじまり。

大殺界、恐るべし!

時期早々だった

ビジネスは人が全てとはよく言いますが、まったくその通り。

私の仕事は専門職なので、新しい人が入ってもすぐに育つものではありません。
まあどの業界もそうですよね、専門的になればなるほどそうです。
世の中では平準化や多能工という言葉もありますが、なかなか難しいものです。

私はずっと本店というか、1つの会社のなかにいて、打ち合わせで出かけることはありましたけど、基本は1箇所にいたわけです。

ですが、本店と支店を行き来するようになります。

もちろんお客様は増えて、売上は増えたのですが、ちょっとしたことがうまくいかない・・・。

できるだろう、と思って、これお願い!と任せてみたものの、どこからどこまでをやるべきなのか?が大手みたいに明確に定まっていないから、わからないんですね。

例えば、仕上がった服を検品してね。と言っていたとします。

その服に、私だったら許せないシワがあったとします。

でも、人によってはこのくらいいいんじゃない?と思うかもしれないし、ある人は気づきもしないかもしれません。

また、お客さんに連絡してね。と言っていたとします。

私のなかでは、連絡とか報告ってきちんと相手に伝わって完了すると思うんです。

でも、人によっては留守番電話に入れましたが、何か?と思うかもしれません。または、連絡したつもりになっていて、実は忘れているということもあります。

だんだんタスクも複雑になってきて、スプレットシートを使ったり、スケジューラーとタスク管理ツールを連動させてミスを減らす仕組みも取り入れました。

マニュアル化、スプレットシート、タスク管理、電話研修・・・

タスク管理

決まっていることは全部マニュアル化しました。

物は、置き場所を決めて、きちんと戻す!とか、電話対応研修とか。

それこそ、箱根に1泊2日泊まり込みで、経営理念を学んで、ホスピタリティの講師を呼んで研修をして、さらにはチームワークを深めるセッションもやりました。ここは大手にいた時の研修を思い出して、自分でカリキュラムを組み立てました。外注するほどのことではありませんでしたしね。

私が新人1年目に研修を受けたときのノートを引っ張り出すと、

ほう・れん・そう

とか書かれていて、おぉっ、ここからやったんだなあ。とフラッシュバックしました。当時、手厳しいことを言ってくる上司も、そういえばあの時、

「お前、営業はまず数だぞ!小手先のことはあとにしろ」って言ってくれたけど、今同じようなこと言ってるなあ。と懐かしくなりました。

あの頃は何硬いこと言ってんだ!非効率な!と反発してましたけど。

どんどんIT化しました。
チャットでリアルタイムに相談しあえる環境も整えて、改善案件はハッシュタグをつけておいて、週に1回話し合って問題をつぶしました。

いろいろとシステマチックにしたのです。

が、人と人、本店と支店、結局不満が出るんですね〜。

それから、本店チームの人員が多いんです。
誰かが休んでも変わりに出てお客様対応ができる、という意味でもとても安心はできるんですが、すぐにチームで緩いおしゃべりがはじまっちゃうんですね。

私もその当時の本店マネジャーもいい仕事がしたい!というタイプだったので、仲良しクラブにはしたくなかった。でも私が本店にいる時間は減ってしまったので、どうしてもピリッとしない。

ゆとりある時代に、ビジョンを語ってみたら

そこで、1つ1つルールを厳格にして、なあなあだったことをはっきり注意するようにしました。
泣き出す人も出てきます。
そんなに本気で仕事したくなかったんでしょうね、そりゃそうですね。

あまり言いたくはないのですが、現代の若い世代のことをゆとり世代と呼ぶことがありますよね。

さらに進んで、悟り世代という言葉もあります。

2018年の今も3人の20代前半の人がチームにいますので、確かにうまいネーミングだなって思う時があります。生まれた時から物もいっぱいあるし、情熱を持って会社に就職しても右肩上がりで給料が上がる時代ではないわけですから、今ある物をうまく利用して楽しむことができる、とても心豊かな世代です。

ただ、私が上司から叱られてきたときは、よく椅子を蹴られました。

現代だとパワハラなのですが、20年前はまかり通っていたんですね〜。

椅子を蹴ったりはしませんが、あまり叱られなれていないということもあって、価値観が違うな。と思うとパッと転職する時代であります。

1人、また1人と辞職願いが出ました。
でも私は引きませんでした、自分に嘘をついて仕事をするなんて嫌だったし、お客様が満足してこその会社です。そこにベクトルを合わせて、一つになっていく、それがチームの理想像だと信じてやまなかったからです。

すみません、今日少しお時間とってもらえませんか?

この頃、

「すみません、今日少しお時間とってもらえませんか?」

という言葉を6回聞いたわけです。

3回目からは、「すみません、今日少し・・」と言った瞬間にイントロクイズのように辞職だね?と察するようになったくらいです。

だめだ、もうだめだ、立ち上がれない〜♩ 心が折れそうだ〜。っていうか、仕事どうやってまわせばいいんだ〜。

結局8人いた仲間は私とマネジャーの2人だけになってしまいました、あちゃー。
マネジャーの個人的なSNSに、大殺界だ!と書かれていて、あ!本当に大殺界の時期だわ。こんなこともあるんだなあ、くらいに思っていましたけどねぇ。

こうして2015年が年末に向かうなか、人手不足以外の何物でもない状況が訪れます。

本店と支店を行き来しながら引き継ぎを行い、移動中にメールを返す。気が付いたら夜中の2時、ということもざら。
すぐに求人広告は出していましたが、なかなか人が集まらない。

と、そんななか、業界の経験がある女性の応募が、なんとブログから!

これは救いの神、即戦力だ!と採用します。

始まった2016年、が、しかし!

こうして2016年がはじまります。
まずは3人からのスタート、もう一度1歩1歩、お客様のために、会社のために、やっといい仕事ができる!
1月4日の初日は、新しいスタートをどう踏み出すかとイメージしながら電車を降りて、会社まで歩きました。会社のドアをくぐる。マネジャーが出社している。

あれ?新人さんは???

続く

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ABOUTこの記事をかいた人

青山バジル

アパレル企業経営者。 大手企業に新卒入社するも3年で退社。その後フリーター、フリーランスを経てベンチャー企業に入社。現在はアパレルの会社を経営しながら面接を行う日々。 大手から中小企業、フリーランスまで自分自身の様々な仕事経験から、働き方に悩むビジネスマンに向けてメッセージを役に立つことをお届けします。